おにたろう日記

医学生の徒然なる日記blog

【独り言】新・小学校の機能、先生の役割

 学校は必要だが、今の学校の先生はそうとも限らない

 今の「学校の先生」は正直いらない。現在の教科書的な事はテクノロジーで代替可能だ。これはテクノロジーの進化と共によく言われている。

 それでは学校はいらないのだろうか。新型コロナウイルスの影響によって休校が続き、学生はオンラインで授業を受けているとは思うが、いささか準備がめんどくさかったり、家にいるために集中できなかったりしているのではないだろうか。

 小学生は学校に行かず、外にも出ないために体力が有り余って、夜も寝れないようになっているとも聞く。

 だから、学校というハードウェアは必要だ。学生が集まり、勉強についての話以外にもたわいも無い話で盛り上がったりすることは、成長していく上で大切になってくると信じているからでもある。

これからの学校の先生に必要なこと

 話を戻すが、学校の先生の役割はどういうものになるのだろうか。以前に述べたように、これからは「みんなと一緒」というよりも「みんなと違う」の方が大切になる。だから、学校の先生の役割は、子供にたくさんの方法でたくさんのことを体験させることでないかと思う。

 そのためにはただ普通に大学生になって公務員資格試験のための勉強をしてきた公務員ライクな先生ではなく、どこそこの研究室で活躍していたとか、こういうスポーツで世界を飛んでいたとか、何か熱中できるものがあった人、専門を持っている人の方がいいだろう。

 つまり先生のバックグラウンド、スペシャリティがとても大切になる。

学校の「先生」と「事務員」

 そんな人材、たくさんいないじゃないか、どうやって集めるのかという質問が飛んできそうだが、何も今いる先生をみんなそういう人にしようとは言っていない。

 今いる先生の中でスペシャリティを持っている人と、持っていない人で職務を分けるべきだ。スペシャリティを持っていない人は学校の事務員として働けばいい。先生と呼ばれるに値しない人はかなり多く見られるから、これからの称号は事務員で事足りる。

 ましてや事務員であれば必要なくなる。テクノロジーに代替可能だからだ。こんなことを書くと、バッシングが来るが、バッシングする人こそがおそらく次なる事務員であることに気づけていない。

 スペシャリティを持った先生は、その先生にしかできないことを生徒に伝え、体験させてあげられると、「先生」になれるのではないだろうか。

プロフェッショナルの世界に触れるべき

 さらには、世界的に有名な、第一線で活躍されている方の講義も大切だろう。

 一公立小学校にそんな人は呼べないと思うのなら、MOOCなどをまずは知っていただきたい。それを見たら現在すでに、そういうことが可能な証明にもなる。そして、もし興味を持つようになったら、どんどん文献を漁って、読んで考え、動いてみることができるように誘導してあげたい。

 このようにして、その子が本当に興味のあるものを見つける助けが少しでもできれば、小学校などの初等教育期間の役割が果たせたと言えるのではないだろうか。

リテラシーメインは良くない!

 もちろん読み書き算盤の能力(いわゆるリテラシー)は大切だと思うが、そちらはテクノロジーを使って、早く進められる人は勧め、遅い人はゆっくり進めれば良い。

 ここで、是非とも小学校で何を勉強したか思い出してほしい。6年という長い時間を過ごしてきたのに、思い出せるのはせいぜい、漢字、計算程度ではないだろうか。もう少し時間をかけて思い出そうとすれば、結晶を作ったな、アサガオを植えたな、地図帳使ってたかなというくらいだろう。

 つまり、最も生きていくに大切なものは頭に残ったり、忘れてたとしても必要になった時にもう一回勉強したりするし、地図帳を勉強したからと言って、Google マップを使いこなせるわけではない。

 だから、リテラシーは最低限必要な量だけでいいのではないか。進度の遅い人を責める必要もない。

オリジナルになれ!

 結局これが結論になるが、小学生には好きなことをさせ、"オリジナル"になっていいと教えるべきなのではないだろうか。